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あとがき

    盲目の古代の旅人、宮崎康平著「まぼろしの邪馬台国」は、戦後の第一次邪馬台国ブームの火付け役となった本と言って過言ではない。それに続く第二次邪馬台国ブームと言えるのは、古田武彦の「邪馬台国はなかった」が出版された昭和46年頃であろうか。それまでの邪馬台国研究者の盲点を突くように邪馬壱国論を取り上げて、センセーショナルな話題を提供した本である。三国志の著者である陳寿を信じきるとし、なによりも三国志全部を含む中国資料を綿密に調べて、ひとつひとつ論証を進めていく手法は、とても新鮮な感動であった。

 古田氏のその後の旺盛な出版活動は、賛否両論を巻き込んで確実に邪馬台国論争を繰りひろげることとなった。氏の著作が出るたびに買い求めて、心わくわくといった感じで読み漁ったものである。


 その後も、原田大六、奥野正男、安本美典、水野祐、市村其三郎など多くの研究者諸氏の著作が相次ぎ、まるで推理小説を楽しむように次々と読んできたが、いつからか、まえがきにも紹介したように自分なりの考えや推論が生まれてきて、単なる古代史本の愛読者から脱皮して、自分の研究をまとめたい願望を持ち始めた。

 そこで、邪馬台国の興亡を中心にしてその前後の状況や、イリ系王権とタラシ系王権の流れを捉えて、日本の最初の国家形成と言える大和朝廷への道筋を明らかにしたいと挑戦したのがこの「古代史ロマン」である。

 仕事もあり浅学故の困難さもあったが、難関の応神天皇の出自問題に一応の結論を出し、ようやく私なりに邪馬台国から大和朝廷成立までの道筋をつけることが出来た。結果的に子供の頃に抱いた銅鐸の謎、邪馬台国の謎、『記紀』編纂の謎という三つの大きな謎は、しっかりと結ばれていたことになり、そこには壮大な古代のロマンがあった。論証に欠け、推論でまとめている点はご寛容いただきたい。これからも、更なる論証や部分的な補強の筆を入れつつ、より完成を目指すつもりである。

 私は、さまざまな歴史の状況を、人間ドラマの自然な流れとして大局的に見ると、こうなるのではないかと推論したまでである。ある意味で大きな仮説を立てたのがこの小論であり、今後も
論証を進めていくことが課題と認識している。しかしながら、この「古代史ロマン」に書いてきたことで、これまで謎とされてきた多くの古代史の謎が解明されたようにも思っている。特に今までにあまり書かれたことのない、4つの王権が継承されたとする説には独自性があると思っている。これにより藤原不比等らによる『記紀』編纂のねらいの本筋が見えてきたものと確信している。

 最後に著作を参照させて頂き、時には紹介引用させていただいた諸先学の皆様、そして最後までご一読頂いた読者の皆様に対して、深甚なる感謝を申し上げる次第で
す。
 ありがとうございました。                                   
                             (了)
                     
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