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まえがき

 古代史には多くの謎がある。真実に迫ろうとすれば、それは残された古代の文献や伝承、考古学の成果などから迫る他無い。我が国を代表する古代の文献は『記紀』すなわち『古事記』と『日本書紀』である。

 しかし文献とは、ある人々によって編纂されたものである以上、特定の意図や史観に基づいて書かれている可能性が高い。特に最初の国史として編纂された『日本書紀』は、律令国家としての体裁を整える意味で、国家権力の正当性を裏付けるために書かれた意味合いが強い。しかもそれは万世一系の天皇を中心とした国家の成立と継承をうたっているが、真実の歴史とは言いがたい。

 中国に残された『魏志倭人伝』などの資料や考古学の成果にあたると、『日本書紀』などの歴史文献には、多くの意図的な編纂や修飾作業がほどこされていることがわかってくる。そこで、ほどこされたものを見極め分解し、複雑に絡んだ糸を編み直す作業が必要になってくる。それには意図的に編纂された『日本書紀』『古事記』などの周辺に残っているもの、すなわち内外の他の文献、考古学の成果、蓄積された先学の多くの研究、更にはさまざまな状況分析の中から推理する力も加えて検討する必要がある。

 こうした作業を進めていく上で最も大切な観点は、『日本書紀』がいつ、どういう立場の誰によって主導的に編纂されたのかということである。その立場とはたとえばその主導者の出自がどこなのか、九州系か出雲系か吉備系なのか、あるいは百済系か新羅系なのか、それらによって歴史の作り方、書き方が違ってくるからである。この観点を見極めることが日本の古代史の謎を紐解く大きな鍵になるものと考えている。

 この『古代史ロマン』のページは、私の古代史研究ノートとでも言うべきものである。今までは、ただ手あたり次第に古代史関係の本を読みふけり、読めば読むほど色々な人の考え、諸説に引き込まれ、混乱するばかりの時期もあった。ただ読むだけではせっかく得た知識もやがて散逸し、求める古代史の再生は、ますます遠ざかるばかりであった。

 そこで、古代通史の要点を項目立てし、知り得た知識や自分なりの発想を随時書き込んでいく事により資料の蓄積を図り、自分なりに古代通史をまとめてみようとする取り組みがこの小論である。

 もとより素人のレベルではあるが、古代史の世界はそうした素人の参入を許せる世界でもある。専門家も含めて誰もが確定した事を言えない世界でもあり、それだけにたくさんの人を惹き付ける謎解きの世界でもありロマンがある。一方で考古学の新たな発見がまた新たな古代史を日々塗り替えている状況もある。邪馬台国については、「出土するたびに邪馬台国移動」などと川柳に揶揄されるほど、ブームが社会現象化されている。こうした中で、冷静な眼で歴史の大局を掴み、歴史の真実を地道な研究で追う事がますます重要性を持ってくる。

 この『古代史ロマン』はまだまだ道のり遠く未熟であるが、なぜ先に特定の個別事案に絞った研究方法を採らないかというと、日本の古代史は動乱期を過ぎ、律令国家の完成時期に書かれた『古事記』『日本書紀』による所が大きく、その『記紀』が何らかの意図のもとに書かれたとすれば、少なくともそこを貫く国家観、民族観があり、その大局を掴まなければ、個別案件の正しい理解は出来ないのではないかと考えるからである。

 あくまでも私なりの思いではあるが、古代をつらぬく建国の思想と、それに隠された真実の姿に少しでも迫り、古代史の実像を描く事が出来ればこの上ない喜びである。そしてそれは、ただ単に誰もが抱く自分のルーツへの関心、自国のルーツへの関心に留まらず、少なからず予見される中国や朝鮮半島、アジア諸国との交流の歴史と実態の深さと真実を知る事で、これからの関係の在り方、世界観にも大きな知見を得る事につながるのではないかという夢も持っている。

 『記紀』等の貴重な文献や、『魏志倭人伝』などの中国資料、色々な発見が相次ぐ古代遺跡や出土物、長らく受け継がれてきた言い伝えや伝説など、数々の物言わぬ資料の中から少しでも真実に近い歴史を追求し、万世一系に繋がれた日本の歴史、古代史のロマンを追求してみようと思う。ぜひご一読下さい。

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