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古代史ニュース
古代史関連の新聞やテレビニュースを簡略に記録
                                                
*藤原京跡から運河の跡が見つかる (2008/9/25)
 
奈良県の藤原京の遺跡内に、南北に流れた形跡のある運河跡が見つかり、前長500メートルに及ぶ大規模なものであることがわかった。支線と思われるものもあり、敷地内にかなり張りめぐされていたようである。これは藤原京造営に際し、宇治川、木津川などを経由して、さらに運河を使い遠地より木材や資材を運び入れたことを示すもので、万葉集にあるその様子を歌った歌を実証する遺構である。資材搬入が済んでからは埋め戻され、建物などがその上に建てられたようである。

*卑弥呼の墓?箸墓古墳に幅60〜70メートルの周濠 
(2008/8/30)

 
奈良県明日香村の
箸墓古墳で住宅整備に伴う発掘調査の過程で、前方部の外側にこれまでの想定を超えて60〜70メートルの周濠があったかの可能性が高いことがわかった。さらには二重の周濠の可能性も考えられ、箸墓古墳がより大規模で、強大な権力者の墓であったことが裏付けられそうである。築造時期は3世紀後半とされている。この時代以降、大型の前方後円墳が出現するが、その先駆けとして箸墓古墳の調査研究が期待されている。
(新聞等では卑弥呼の墓と言われている・・・といった表現でますますその可能性が高まったなどと記しているが、もともと『魏志倭人伝』の記載にあわず大規模であり、今回の周濠の全貌がわかれば、なおさら卑弥呼の墓の可能性は遠のくと思われる・遊人記)

*「石舞台」上回る最大級の石室
(2008/2/8)
 
奈良県明日香村の真弓鑵子(かんす)塚古墳(6世紀中ごろ)は、蘇我馬子の墓と見られる石舞台古墳をしのぐ国内でも最大級の規模の石室を持ち、精巧なつくりであったことが分かったと報じられた。出土品などから被葬者は渡来系の東漢(やまとのあや)氏とみられる。
東漢氏とは、阿智使主(あちのおみ)を始祖とする半島からの渡来系で集団の総称である。『記紀』によれば応神天皇の代に渡来し、さまざまな技術や文人として大きな影響力を持った。また、蘇我氏との関係も深く蘇我氏の勢力伸張には東漢氏が大きな役割を果たした。しかし大化の改新においては巨勢氏とともに蘇我氏を離れ、蘇我入鹿、蝦夷の滅亡を招いたとされる。


*5000年前に大豆栽培の痕跡
(2007/10/18)
 
山梨県立博物館などの研究グループは、縄文中期と見られる土器の内部から、国内最古の栽培種の大豆の痕跡があるのを確認したと発表した。

*3世紀のベニハナ花粉を発見(2007/10/3)
 
奈良県桜井市の纒向遺跡の溝跡から、ベニハナの花粉が大量に含まれている土砂が発見されたと市教委が発表した。これまで最古の藤ノ木古墳出土例より300年以上さかのぼる発見。

 

*蘇我氏邸跡から大規模な石垣など発見
(2007/2/2)
 蘇我氏の邸宅跡とされる奈良県明日香村の甘樫の丘遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣と塀の跡が見つかったと、奈良文化財研究所が発表した。『日本書紀』の蘇我氏邸の要塞化記述を裏付ける可能性。

*最古の和歌木簡出土(2006/10/13)
 
大阪市中央区の難波宮跡で「皮留久佐乃(春草の」などと万葉仮名で和歌を書いた640年ごろの木簡が見つかったと大阪市教育委員会などが発表した。和歌を書いた木簡としては最古のものと見られる。

*石舞台古墳造営の宿舎跡を発見(2006/3/9)
 樫原考古学研究所は、奈良県明日香村の石舞台古墳の隣接地で、石舞台古墳造営時の工事に関わる宿舎跡と見られる柱穴の列が見つかったと発表した。

 


*飛鳥で磚(せん)積石室を発見
(2005/12/2)
 
奈良県明日香村のカズマヤマ古墳(7世紀後半)を調査中の村教育委員会は、磚(せん・板状の切石)を積み上げて構築した横穴式石室を発見したと発表した。飛鳥では初めての発見で、渡来した百済王族の墓と見られる。

*中国で4000年前のめん発見
(2005/10/13)
 
中国科学院などの研究チームは、中国北西部の新石器時代後期の遺跡で、土器の中から約4000年前のめんを発見、英科学誌ネイチャーに発表した。世界最古のめんの可能性。

*キトラ古墳「午」全体像判明(2005/7/15)
 
奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀〜8世紀初め)で極彩色壁画をはぎ取り、修復保存を進めている文化庁は、石室南壁で見つかった獣頭人身の十二支図「午(うま)」の全体像が判明したと発表した。 キトラ古墳では、これまで十二支のうち、「子」(ね)や「戌」(いぬ)など5体が確認されている。

*高松塚古墳壁画解体保存へ
(2005/6/29)
 
大量のカビ発生が問題になっている奈良県明日香村の高松塚古墳の石室を解体し、カビを処理し保存することになった。カビの侵食は深刻で、文化庁のこれまでの保存方法や姿勢が批判を招いている。

*宮崎で国内最古級の前方後円墳
(2005/5/19)
 
宮崎県西都原古墳群にある前方後円墳が、宮崎大学の調査で国内最古級と確認された。築造は三世紀半ごろから後半と見られ、畿内で発生し、やがて全国に普及したとされる前方後円墳の研究に疑問を投じる発見。
 
 
*キトラ古墳の主は50歳代男性か
(2005/3/11)
 
奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室で出土した骨や歯型の鑑定結果から、被葬者は50代のがっちりした体格の男性とみられることが分かり、文化庁などが発表した。7世紀末から8世紀初めというと、古代史上の最大の動乱期、郭務宗軍の来日、天智天皇の死、壬申の乱勃発、天武天皇、持統天皇即位、大津皇子の抹殺、『記紀』の編纂など重大事件が目白押しの時期であり被葬者は誰なのか、更なる遺物の解明でどこまでせまれるか。今の所天武天皇の皇子たちの誰かか、渡来系の人物の可能性が高いとされている。

*最古の都市は大阪か
(2004/11/11)
 
大阪市和泉市の環濠集落の池上曽根遺跡で、紀元前1世紀頃と見られるの国内最古の整然と配置された大型建物群が見つかったと同市教育委員会が発表した。高床式の建物群は4棟あり、倉庫跡と推察される。同遺跡は二重の大溝で囲まれ、500〜1000人程度の人が住んでいたと見られ、国内最古級都市の可能性も。

*遣唐留学生の墓誌発見
(2004/10/11)
 
唐(618〜907年)の都、長安があった西安市で、奈良時代の717年に阿倍仲麻呂らとともに遣唐使の一員として唐に渡り、勉学途中に客氏した留学生の生前の功績を記した墓誌が見つかった。墓誌にある留学生の名前は「井真成」。中国にならって3文字に改めたようで、日本名は分かっていない。墓誌には「勉学に努めた」など賞賛する内容が書かれており、日本からの留学生が大事にされていた様子もしのばれるという。

*キトラ古墳で人骨発見(2004/6/19)
 
奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室で、被葬者とみられる人骨と歯、計10点、木棺の一部と見られる金具1点が見つかった。キトラ古墳の被葬者を解明する貴重な資料となる。

*飛鳥美人壁画にアフガン産宝石?(2004/5/1)

 
奈良県明日香村にある高松塚古墳の極彩色壁画のうち美人像のスカートなど青い部分の彩色に、アフガニスタン産の宝石ラピスラズリが使われている可能性が高いことが東京文化財研究所の調査で分かった。同研究所では「高松塚古墳の国際色の豊かさが裏付けられた」と話している。

*キトラ古墳に「獣頭人身像」鮮明に(2004/4/15)
 
奈良県明日香村のキトラ古墳を調査中の文化庁は、朱雀など四神像の壁画の下に、子(ね)と寅(とら)の十二支像が描かれているのを確認したと発表した。獣の頭部と人間の身体の組み合わせた、「獣頭人身像」で、十二支の壁画としてはアジアで最も古い可能性があるという。
(写真・(寅)獣頭人身像)




*蘇我馬子邸正殿跡を発見(2004/3/12)

 
蘇我馬子(生年不明〜626年)の邸宅の一角とされる奈良県明日香村の島庄遺跡で、7世紀前半の大型建物群などが見つかった。
天皇の宮殿並みの規模や位置から、研究者は馬子が居住した正殿とみている。

*今城塚古墳は横穴式と判明
(2004/2/11)
 
今城塚古墳(前方後円墳、6世紀前半)を調査中の高槻市教育委員会は、石室の入り口と見られる遺構が見つかり、石室が横穴式だと分かったと発表した。
 石野博信・徳島文理大教授談「当時近畿では先進的だった横穴式石室をいち早く大王陵が取り入れたことが分かり興味深い。一方、墳形は畿内の伝統を引き継ぎ、新旧の要素が混在している。越前から招かれた継体天皇の政治的立場を象徴しているようだ」と語っている。


*弥生時代の始まりは紀元前10世紀
(2003/12/20)
 
国立歴史民俗博物館は、佐賀県で出土した縄文時代晩期の黒川式と呼ばれる土器に付着した炭化物を放射性炭素年代測定法で調査した結果、紀元前1000年前後に作られたことが分かったと発表した。これにより九州における弥生時代の始まりはBC10世紀頃にさかのぼる可能性。

*巣山古墳から水鳥形埴輪など出土(2003/10/4)
 
奈良県広陵町の巣山古墳を調査中の同町教委は、古墳の周濠の底から島状の遺構が見つかり、水鳥型など30点を超す形象埴輪が出土したと発表した。
参考資料・<巣山古墳・全長220メートルの前方後円墳。規模から大王クラスの墓と見られ、有力豪族であった葛城氏の墓とする見方が多い。> 


*福岡・一の町遺跡・最大級の建物群跡発見
(2003/2/26)
 
福岡県志摩町の「一の町遺跡」で弥生中期後半(1世紀)国内最大級の建物を含む大型建物跡が見つかったと同町教育委員会が発表した。『魏志倭人伝』にある斯馬国の遺跡の可能性。

*最大規模の埴輪祭祀跡・大阪今城塚古墳(2002/11/29)
 
大阪府高槻市の教育委員会は、今城塚古墳(前方後円墳・6世紀前半)で昨年見つかった祭祀跡は、長さ62メートル以上、幅5メートル以上で、埴輪祭祀跡では最大規模であると発表した。同古墳は真の継体天皇陵とする説が有力。

*太田茶臼山古墳・継体天皇没時より古い埴輪
(2002/11/23)
 
宮内庁が継体天皇陵として管理する太田茶臼山古墳で一部の護岸工事に伴う発掘があり、その出土品が公開された。研究者によると「出土した埴輪や土器から、太田茶臼山古墳は5世紀半ばの古墳であり、継体天皇(531年没)の墓ではない」とする意見が相次いた。

*壱岐の原の辻遺跡から国内最古級の王墓?(2002/7/25)
 
長崎県壱岐の原の辻(はるのつじ)遺跡から、青銅器が多数し、同県教育委員会などは「国内最古級の王墓が存在した可能性が高い」と発表した。『魏志倭人伝』にある一支国の王墓の可能性も。


*不弥国王の墓を発見か
(2000/8/1)
 福岡県宇美町の光正寺古墳の埋葬施設から、副葬品として弥生時代終末期(2世紀後半から3前半世紀前半)の土器が出土していたことがわかった。畿内のホケノ山古墳と並ぶ3世紀前半の古墳で、『魏志倭人伝』にある不弥国の王墓の可能性も。

*最古級の前方後円墳・ホケノ山古墳
(2000/3/28)
 奈良県桜井市のホケノ山古墳は邪馬台国の時代にあたる3世紀中葉の築造で、最古の前方後円墳と確認されたと大大和古墳調査委員会が発表した。

*対馬に初の弥生集落遺構が見つかる。
 
長崎県対馬の三根遺跡から弥生〜古墳時代の集落跡が出土した。
周辺には首長クラスの墓も発見されている。


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